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塩野七生の「ローマ人の物語 第10巻 すべての道はローマに通ず」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

本書はローマ人が築き上げたインフラストラクチャーのみを扱っている。面白く、歴史観光ガイドのようでもある。街道、橋、水道、医療、教育が中心で、すべてのインフラストラクチャーを扱っているわけではない。

イタリアに限らず、地中海やヨーロッパ各地に遺されたローマの遺跡はこうしたインフラストラクチャーであることが多い。そうした遺跡がどのように作られ、何の目的で、誰がどのように使ったのか、そしてそれがどうなっていったのかを知ることができる。

なお、塩野七生氏が最重要のインフラと思う安全保障は、これまでの巻で必ず言及してきており、安全保障以外のインフラでも港湾、神殿、バジリカ、フォールム、半円形劇場、円形闘技場、競技場には本書では言及していない。それは、これまでにどこかで言及してきているからである。

ラテン語にはインフラストラクチャーに相当する言葉がないという。代わりに「モーレス・ネチェサーリエ」(moles necessarie)という日本語訳にすると「必要な大事業」とでもいうべき言葉がある。この言葉の前には「人間が人間らしい生活をおくるためには」という一句がつく。

つまり「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」というのがローマ人のインフラストラクチャーの概念だったのではないかというのが塩野七生氏の見解だ。

本書ではインフラの重要性を強調しているし、必要性を訴えているが、それは現在の日本のように闇雲に作ればいいということを言っているのではなく、「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」を満たす限りにおいて、やるべきだという限定がかかる。

これを念頭に置きながら本書を読まないと、意味内容を完全に誤解することになる。

いまの官僚や政治家に正確に読んでもらいたい内容だ。もっとも、曲解して読む可能性が高いとは思うのだけれどね…。

そもそも、ローマ時代を通じて街道も橋も権力者である執政官や独裁官、皇帝の別邸近くにわざわざ通すことはしなかったと書いている。インフラとは主が「公」であり「私」は従でなければならないからだ。それに権力者の別邸近くに敷設することは「人間が人間らしい生活をおくるためには必要な大事業」ではないからだ。

塩野七生氏は無駄で自己中心的なインフラの整備ではなく、真に公共性の高いインフラの整備の必要性を訴えている。

ローマ人にとって街道は国家の動脈と考えていたように思われると書いている。だからこそ、街道網を張り巡らせたのだ。

街道の敷設の費用は国庫収入だけで行われ、借金をせずに予算内だけで可能な事業を行った。

そして驚くべきことに、人間がローマ街道をゆく速度を上回る速さで目的地に到達できるようになったのは、十九世紀も半ばに始まった鉄道の普及に寄らなければならなかったというのだ。ローマ人のめぐらせた街道網の凄さがここに集約されているように思われる。

街道に対する考えが一変するのは、紀元前三一二年に着工された「アッピア街道」からである。アッピウスの道という意味で、その年の財務官であったアッピウスが立案し、総監督となって敷設した街道だ。

最初のローマ式の街道であり「街道の女王」と呼ばれた。またアッピア街道はローマ街道のあるべきモデルを指し示した街道であった。

それは、軍用道路としての機能を満足させるもの、政略道路でなければならないということ、街道は常に複数の選択肢を持つことの重要性を示したことであった。

ローマ街道は首都ローマから十二本出て、ローマ帝国全域に広がる内に三百七十五本を数え、全長は八万キロに達した。支線を加えると十五万キロにもなる。

ローマの橋というと石橋を思い浮かべるかもしれないが、ローマ人はケース・バイ・ケースの達人であり、舟橋や木造の橋も作っている。そして、ローマ人は橋を街道の弟と呼んだ。

ローマには凱旋門が多く遺っているが、戦勝を記念したものばかりでなく、街道を敷いたとか街を建設したとかでも凱旋門があり、橋の建設もそうしたケースに該当する。

ローマ帝国における公共事業の重要性を示すものであり、戦いに勝って自国の防衛に貢献するのと同等の価値を認めていたのだ。

ローマの街道が自然任せにされるようになるのは紀元二三五年からの五〇年間である。三世紀の危機と呼ばれる政治の不安定が原因だ。

それまでは街道や橋のメンテナンスが随時なされ、街道の安全も確保されていた。街道や橋の状態というのは現在われわれが見るものよりもはるかに状態のいいものだった。

街道の創始者であったアッピウスはローマ式水道の創始者でもあった。アッピア街道と同じく紀元前三一二年に着工されたローマ最初の水道は「アッピア水道」と名付けられた。

第二の水道は「旧アニオ水道」であり、その後に「マルキア水道」など十一本が首都ローマに敷かれた。

ローマには大規模な教育と医療の施設がなかったが、ユリウス・カエサルが条件付で医師と教師にローマ市民権を与えることにより、多くの医者と教育者が入ってくることになる。

なお、本書の巻末カラーで多くの写真が載っている。その目次は以下のとおり。

アッピア街道
各地で築かれたローマ街道
クラウディア水道
各地で築かれた水道
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」
イタリア地図(ローマ時代/現代)
イタリアの主な遺跡
カルタゴの金貨とローマの銅貨
アウグストゥス帝の凱旋門(リミニ)
ハドリアヌス帝の別邸(ティヴォリ)
円形闘技場(ポッツォーリ)
トライアヌス帝の凱旋門(ベネヴェント)
ローマ近郊地図(ローマ時代/現代)
ローマ市内の主な遺跡
パンテオン
「真実の口」
カラカラ浴場
トレヴィの噴水
ローマ文明博物館のローマ復元模型
ローマ市内の遺跡と復元模型
ローマ市内の橋
ナポリ近郊地図(ローマ時代/現代)
ポンペイ
スペイン地図(ローマ時代/現代)
スペインの遺跡
イタリカの円形闘技場
メリーダの劇場
アルカンタラの橋
セゴビアの水道橋
北アフリカ地図(ローマ時代/現代)
北アフリカの遺跡
カルタゴ郊外の水道橋遺跡(チュニジア)
レプティス・マーニャの劇場跡(リビア)
ランベーズの四柱門(アルジェリア)
ティムガッドの遺跡(アルジェリア)
ガリア(フランス・ドイツ)地図(ローマ時代/現代)
ガリア(フランス・ドイツ)の遺跡
ニームの水道橋「ポン・デュ・ガール」(フランス)
ニームの神殿「メゾン・カレ」(フランス)
アルルの円形闘技場(フランス)
ケルンの城壁の塔(ドイツ)
皇帝ネロの記念柱(マインツ/ドイツ)
トリアーの門(ドイツ)
イギリス地図(ローマ時代/現代)
イギリスの遺跡
リッチブラの要塞
セント・オールバンズの円形闘技場
ハドリアヌス防壁
バースのローマ浴場
ドーチェスターの要塞後
ドナウ河流域地図(ローマ時代/現代)
ゲルマニクス防壁沿いの要塞跡(ドイツ)
トライアヌス橋の遺構(ユーゴスラヴィア)
トライアヌス帝の戦勝記念碑跡(アダムクリシ/ルーマニア)
ブダペストの遺跡(ハンガリー)
ディオクレティアヌス帝の宮殿跡(スプリト/クロアチア)
「タブーラ・トライアーナ」(ユーゴスラヴィア)
ギリシア地図(ローマ時代/現代)
ギリシアの遺跡
「フィリッピの戦い」の記念像
アテネに建つハドリアヌス帝の門
コリントスの浴場跡
フィリッピ近郊のエニャティア街道
トルコ(小アジア)地図(ローマ時代/現代)
トルコの遺跡
アフロディシアスの競技場跡
アスペンドゥスの会堂
エフェソスの図書館跡
エフェソスの半円形劇場など
中近東地図(ローマ時代/現代)
中近東の遺跡
カエサリア遺跡のアーチ群(イスラエル)
マサダの要塞を攻略するために作られたローマの基地跡(イスラエル)
カエサリアの海岸沿いを走る水道橋(イスラエル)
列柱広場(ジェラシュ/ヨルダン)
バールベクの神殿(レバノン)
エジプト地図(ローマ時代/現代)
エジプト、キレナイカの遺跡
トライアヌス帝の浴場(シャーハット/リビア)
トライアヌス帝の記念建造物(フィラエ/エジプト)
アレクサンドリアの劇場跡(エジプト)
ポンペイウスの柱(アレクサンドリア/エジプト)
アッピア街道の終点(ブリンディシ)

本書について

塩野七生
ローマ人の物語10
すべての道はローマに通ず
新潮文庫 計約四五五頁

目次

はじめに
第一部 ハードなインフラ
1 街道
ローマ街道網略図と各時代の万里の長城
ローマから南へ(街道の複線化)
ローマ街道の基本形
マイル塚
ローマ街道の断面図
ローマ街道の復元想像図
共和制時代のローマ街道網
ローマ時代のトンネル
山腹を縫う街道の断面図
2 橋
ローマ時代の舟橋と木橋
「ポンス・ロングス」
ローマ時代の石橋
排水のしくみ
橋脚工事法
明石海峡大橋
南仏ニームの水道橋
三種類の橋の図
街道・橋および水道に必要な用地の幅
3 それを使った人々
カエサル、アウグストゥス、ティベリウスの肖像
郵便馬車
アルプス越えのローマ街道(ヴァランスからトリノ)沿いの諸設備
アルプスを越える四つのルート
ローマ時代の旅行用の銀製コップ
銀製コップの展開図とカディスからローマまでの街道図
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」
プトレマイオス地図
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」部分(「アレクサンドロスが引き返した地」、山脈、森林)
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」に収録されている主要六都市
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」部分(ローマ周辺、ナポリ周辺)
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」部分(ペルシア湾、ナイル河口)
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」中の記号(「バジリカ」、チヴィタヴェッキア、シチリア島)
「タブーラ・ペウティンゲリアーナ」中の記号(宿駅、温泉場)
ローマ時代の測量機器
休息する旅行者
二頭立て馬車で旅をする家族
二輪馬車
4 水道
ローマ水道の模式図
ドムスでの雨水利用法
ポルタ・マッジョーレ
アグリッパ肖像
トレヴィの噴水
水源からローマまで
ローマ市内の水道
水道の断面図
「カステルム」(水の分配施設)
共同水槽
共同水槽のあるポンペイの街角
鉛管の作り方
ハドリアヌス防壁沿いの浴場遺跡
カラカラ浴場
浴室の温め方
ラオコーンの群像
「ファルネーゼの牛」
第二部 ソフトなインフラ
1 医療
イゾラ・ティベリーンナ模型
アスクレピウス神像
コロッセウムの客席
診察する医師
ローマ時代の医学校所在地
公衆浴場の様子
クサンテン軍団基地の軍病院
2 教育
ローマ時代のそろばん
学校での授業風景
公衆浴場の中庭
おわりに
巻末カラー
参考文献
図版出展一覧
投げ込み地図 ローマ帝国全図