本書の主人公はただ一人。アウグストゥス(オクタヴィアヌス)です。
ローマ帝国が存続しているかぎり「神君アウグストゥス」と呼ばれた人物でした。
「読者に」で塩野七生氏が書いているように、アウグストゥスはスッラやカエサルのように愉快でもなく、実戦の指揮をとればことごとく負けました。
名だけの最高司令官としてでも臨戦する必要がなくなったので、戦闘は他人任せで通しています。
ですから、本書では戦闘場面もなければ、あざやかな逆転勝利を読む快感もありません。
だが、と塩野七生氏はいいます。それでいて、彼の生涯と業績を追った場合、一度として退屈したことがないのです。
三十三歳で戦場に出る必要がなくなってから、七十七歳で死を迎えるまで、別の意味の戦争を闘いぬいたのだと感じたからです。
塩野七生氏がアウグストゥスに一度として退屈しなかったというのは、本書が今までの「ローマ人の物語」シリーズの中で最も内容が濃く、凝縮されていると感じたことから、氏が退屈しなかったのだろうというのが実感できます。
そして、内容が濃く、凝縮されているということは、前の「ユリウス・カエサル ルビコン以前」「ユリウス・カエサル ルビコン以後」に比べて薄いが、読む時間はかえって前の二冊よりも時間はかかるかもしれないということです。
「天才の後を継いだ天才でない人物が、どうやって、天才が到達できなかった目標に達せたのか。それを、これから物語ってみたい。」
個人的な見解ですが、アウグストゥスは戦の天才ではなく、むしろ下手であったため、その一面から見ると派手な天才ではないと見えるが、彼が盤石にした帝政への道を考えると、別の種の天才であったと思わずにいられません。
後年、皇帝をカイザーと呼ぶことになり、カイザーはカエサルから来ていることはよく知られています。
この場合のカエサルは通常ユリウス・カエサルを示すと考えられるのでしょうが、私はアウグストゥスを指すのがふさわしいと思うことがあります。
というのは、彼こそが初代ローマ皇帝であり、そして、カエサルの名を継いだ人物だったからです。
さて、塩野七生氏と一緒に、アウグストゥスの生涯を眺めてみましょう。
内容
紀元前三一年。アクティウムの海戦に勝ち、ローマに戻ってきたオクタヴィアヌスは三十四歳だった。単なる凱旋将軍ではなく、スッラやカエサル同様の唯一の絶対権力者の立場にあった。
彼は五十万にもなった軍事力の削減を断行する。維持するだけの費用を考えても軍縮は必要があった。完了がいつかは不明だが、最終的には二十八個軍団十六万八千まで削減した。国家としてのローマは領土拡大の時代から領土維持の時代に入ったのだ。
この時期の有権者の数は四百万を超えている。ローマ型の共和政体の限界に近い数字となっているのだ。
なぜなら、最高決定機関は、市民権所有の有権者を集めての市民集会であるが、数が増えてしまうと、首都ローマに来て選挙権を行使できる人の数は減る一方となる。
そのため、市民の意見の反映とはいえ、それは一部の意見の反映でしかなくなってしまうのだ。
ローマの元老院は一千名を超える数になっていた。オクタヴィアヌスはそれを六百まで減らすことにした。
そして、紀元前二七年。元老院議員を前にして、三十五歳の絶対権力者は、共和政体への復帰を宣言する。これにともなって特権をすべて放棄すると宣言した。
彼が得ていた特権とは、三頭政治権、イタリア誓約、世界的賛意である。いずれも手放した方が利益になる特権を放棄したにすぎなかった。
だが、一方で手放さなかったものがある。まずは執政官職を辞任していない。連続選出という危険を冒してでも保持し続ける。次にはインペラトールの称号を常時用いる権利である。そしてプリンチェプス(第一人者)の称号である。これは便利な隠れ蓑となった。
共和政への復帰が宣言されてからすぐ、元老院はオクタヴィアヌスに「アウグストゥス」の尊称を贈ることを決議した。アウグストゥスは古代のローマでは、単に神聖で崇拝されてしかるべきものや場所を意味する言葉でしかなかった。これによって、権威を得ることになる
こうした点をふまえると、この時期のアウグストゥスの行動の結末は、一つ一つは完全に合法でありながら、それらをつなぎ合わせていくと、共和政下では非合法とするしかない帝政につながっていくことになる。卓越した手腕を発揮していたのだ。
そして正式名称は「インペラトール・ユリウス・カエサル・アウグストゥス」となる。
アウグストゥスはまれなる美男子だったという。
古代ローマの彫像の中で、風化や破損、キリスト教徒による破壊を経てなお最も多く残っているのが初代皇帝アウグストゥスの像である。しかし、この像のすべてが三十代のアウグストゥスを模している。
だが、アウグストゥスは七十七歳まで長生きしたのだ。働き盛りの四、五十代の像は一体もない。
わざと自分のイメージを三十代の頃の青年期に限定したようだ。
アウグストゥスの重要性はカエサルに劣らない。研究などではカエサルに匹敵するページをあたえられているが、伝記がいたって少ない。学者によるものはあるが、作家が書いたものはないのではないかというくらいの少なさのようだ。
書き手を強烈に触発するタイプの人間ではなかったということ。彼の行った事績が長い年月にわたっているので年代順で書いていくとモザイク状になってしまうこと。史料の絶対的不足というのがあるようだ。
一つ一つの仕事を片づけていくタイプの人間ではなかったアウグストゥスであるため、編年式の叙述が難しくなっている。
そのため学者たちは政策別に記述する方法を採用した。軍制改革一つにしても二十八年をかけた人物なのである。
三十六歳になったばかりのアウグストゥスは現代でいう内閣の創設に着手した。この時期アウグストゥスは執政官を兼ねており、もうひとりの執政官にはアグリッパがなっていた。
属州統治の基本方針も変えられ、アウグストゥスが直接に統治する属州が決められた。史的名称は「皇帝属州」である。このためアウグストゥスには武官を統括するための権限が与えられた。
「インペリウム・プロコンスラーレ・マイウス」意訳すると「全軍最高司令権」が公的に認められた。元老院は、軍事権までもアウグストゥスに与えてしまった。
ローマ史上初の常設軍の創設も行った。拡大の時代には徴兵制度も有効であったが、最大の目標が防衛に変わったため、いつ襲来するかわからない敵に備えて常に準備しておく必要に迫られたのだ。専守防衛のために常設軍事力が必要となったのである。
この軍制改革は軍備縮小と並行して行われた。常設軍であるため、可能な限り少ない経費で最大の効果を得る必要がある。でなければ国の経済が耐えられなくなる。
イベリア半島の完全制覇のため三十六歳のアウグストゥスはローマを後にする。右腕にはアグリッパである。
このイベリア半島制覇の中で、アウグストゥスはガリア問題の処理をする。カエサルが線を引き、アウグストゥスが土台を築いたライン防衛線の堅持が最大の目標である。そのためにガリアに配置された五個軍団はすべてラインの防衛線に貼り付けという感じになった。
同じく、属州統治として「プロクラトール・インペリアーレ」という官職を新設した。徴税請負人の国家公務員化である。これにより徴税の公平化や、帝国統治のグランド・デザインに従って税金の配分ができ、統治の連続性の確立もはかれた。
西半分の再編成を終えたアウグストゥスはローマに帰還した。四十歳になっていた。
紀元前二三年。四十歳のアウグストゥスは連続して就任してきた執政官の地位からアグリッパとともに辞任した。そのかわり護民官特権を一年期限で授与された。
護民官特権は肉体の不可侵権、平民の代表として、彼らの権利を守る地位、平民集会の招集権、政策立案の権利、拒否権がある。そして、一年任期は異議がなければ更新されることになっていた。実質の終身制となった。
またもや、所有し続けることが意味も効力もなくなった権利を返還して、一見効力のなさそうなそれでいて大変に重要な権利を取得したのである。
護民官特権の取得によって、アウグストゥスの公的地位の確立は完成する。証拠に、以後の皇帝たちの正式名称も、アウグストゥスのそれを継承する。
Imperator Caesar Augustus Tribunicia Potestas
この後に各自の名前が来る。
通貨制度の根本的な改革に着手する。これを通じて感じられるのは、経済人ならば政治を理解しないでも成功できるが、政治家は絶対に経済がわかっていなければならない、ということである。
こうした中、紀元前二二年、四十一歳のアウグストゥスによる国政改革はいったん期間を置く。ローマ帝国の東半分の再編成と、パルティア問題の解決が必要だったのだ。アグリッパに地ならしをさせ、アウグストゥスは若いティベリウスを同行させた。
ローマでは少子傾向が顕著となっていた。グラックスの時代には十人の子を産むのは珍しくなかったが、カエサルの時代には二、三人が普通となり、アウグストゥスの時代には結婚さえしない人びとが増えた。
アウグストゥスは倫理対策に熱心に取り組み、二つの法を成立させる。現在では不評であるはずの法であるだろうが、実効性があった。税からの控除や家族手当の増額程度の対策では解決不可能なのだと、塩野七生氏は妙に感心している。
レピドゥスが死んだことによってアウグストゥスは最高神祇官になった。生存中の神格化は嫌ったアウグストゥスであるが、「アウグストゥスの霊」信仰こそが、後の皇帝崇拝となる。
紀元前一二年。五十一歳のアウグストゥスは生涯の友であり、最良の協力者であったアグリッパを失った。四年後、アグリッパを右腕とするなら、左腕のマエケナスを失う。軍事面を支えた友と、外交面を支えた友の二人を失ったのだ。
この時期を境に、アウグストゥスはカエサルが遺した指標に初めて反する政策に着手する。
ローマの防衛線をライン河からエルベ河に移すことである。これによって間にあるゲルマニアと、ゲルマン民族を制圧してローマ帝国に組み入れることを意味した。
アグリッパ亡き後の右腕を務めたのは、妻リヴィアの連れ子、ティベリウスとドゥルーススの兄弟だった。兄はドナウ河の防衛線確立、弟はエルベ河への防衛線を移動させる任務を担った。不慮の事故がおき、ドゥルーススが死んだ。
以後、エルベ河への防衛線移動は上手くいくことなく、結局ライン河の防衛線を確立することになる。
五十五歳のアウグストゥスのまわりには三十四歳のティベリウスしか遺されていなかった。が、このティベリウスがアウグストゥスの命令を拒否し、いったん引退してしまう。逃げられたアウグストゥスは初孫のガイウス・カエサルが十五歳になった時点で、世襲制への決定的な移行を試みてしまう。焦りが見える時期である。
時期を同じくして、六十代に入ったアウグストゥスを悩ませたのは、近親の間から生まれた醜聞であった。それは彼自身の娘に絡む出来事だった。
紀元前二年に娘の一件を処理し終えたアウグストゥスに「国父」の栄誉が与えられた。カエサルが与えられた栄誉の中で、アウグストゥスが得ていなかった最後のものだった。
六十六歳になって、アウグストゥスは自分の血を引く後継者候補のすべてを失った。そして、いったん引退していたティベリウスが復帰する。
この時期を描いた映画として有名なのが「ベン・ハー」である。
本書について
塩野七生
ローマ人の物語6
パクス・ロマーナ
新潮文庫 計約五六〇頁
目次
読者に
第一部 統治前期(紀元前二九年~前一九年)
アウグストゥス、三十四歳~四十四歳
若き最高権力者/軍備削減/国勢調査/霊廟建設/情報公開/元老院のリストラ/共和政復帰宣言/「アウグストゥス」/イメージ作戦/書き手から見たアウグストゥス/「内閣」の創設/属州統治の基本方針/「安全保障」/西方の再編成/国税庁創設/「幸運のアラビア」/「護民官特権」/通貨改革/選挙改革/ローマ時代の「ノーメンクラトゥーラ」/血への執着/食糧安保/東方の再編成/ユダヤ問題/パルティア問題/エジプト/首都帰還
第二部 統治中期(紀元前一八年~前六年)
アウグストゥス、四十五歳~五十七歳
少子対策/宗教心/アルプス/ドナウ河/「平和の祭壇」/軍事再編成/総合戦略/近衛軍団/税制改革/アグリッパ/マエケナス/ゲルマン民族/行政改革/ドゥルーススの死/ティベリウスの引
第三部 統治後期(紀元前五年~紀元後一四年)
アウグストゥス、五十八歳~七十七歳
祖父アウグストゥス/娘の醜聞/「国家の父」/ティベリウス復帰/反乱/家族の不祥事/詩人オヴィディウス/「森はゲルマンの母である」/死