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多田容子の「双眼」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

数え切れないほど多くの小説で主役となってきた柳生十兵衛三厳。本書もその一つとなるであろう。

ただし、異形の剣士という側面よりも、ある種の心の弱さを持つ剣豪として描かれている。それは、十兵衛が隻眼となった事故から由来する。

十兵衛はあらゆるものが二つにずれて見えていた。父・宗矩は曖昧に映る双眼より、一つの世界を見る眼が相応しいと考えていた。

それに、家臣たちが十兵衛を畏れている。その焦点の定まらないように見える双眼は何を考えているかが分からず不気味に映ったのだ。

そして、稽古の最中に宗矩は太刀で十兵衛の右眼を潰してしまう。以後、十兵衛の右の眼は外界ではなく、自らの体内や相手の内側を見るようになる。

だが、宗矩は一方で幼いながらも剣に秀でた十兵衛を恐ろしく思っていた。それは特に二つにずれて見えたという眼である。

もしかしてそれは己すら達することの出来ない高見にいくために必要なものだったのかもしれない。剣士としての嫉妬があったのかもしれない。

親子はその後つかず離れずの関係となる。それはつまりの所、十兵衛が宗矩に愛されたことがないというあかしでもあった。

ここに十兵衛の心の弱さが生まれてくる、という設定である。

今回の十兵衛の隠密行動には幕閣の思惑も絡んでいる。それは先の将軍・秀忠の重臣であった年寄衆と、家光の側近である六人衆との熾烈な権力争いである。

六人衆は早い段階で、年寄衆から権力を家光に完全委譲してしまいたかった。そのための十兵衛の隠密活動である。

そして、十兵衛の隠密活動には二つの役目が課せられていた。

本作では剣の動きを合理的に説明している。それは古武術の理論に基づくものであり、例えば走法や、複数人を斬る方法などで言及されている。

走法ではこう言及している。膝や腰を「抜く」感覚で、全身の微妙な働きを用いて歩く。体勢を崩すことがなく、止まろうと思う瞬間に留まることができ、方向変えも自在である。

また、複数人を斬る方法では、拍子を抜かすという言葉を紹介し、一拍子で一人を斬るのは達人ではない、術者と呼べるほどの者は一呼吸で二人は斬るとしている。

より詳しい記述は本書にてなされているので、読んでご確認頂きたい。

さて、山に住むものと平地に住むものとでは脚が全く違っていたようで、秀吉が三十六町を一里としたあとも、脚の強い山間部では五十町を一里と数える習慣が残ったそうだ。

山に住む忍びたちの脚がいかに強かったかを示すための記述である。

惜しむらくはこうした細かい設定が、物語の前半部分に登場することがなく、進行するに連れて小出しされていくものだから、その意図が読み取りにくいという難点がある。

全体を通して読めば、「ああ、あそこに伏線がはられていたなぁ」と思うのだが、良く言えばあまりにもさりげない記述、悪く言えば全く気に留めることがない記述のため、どうしても唐突感というものがあった。

大味になるのを覚悟で、伏線は「さりげなく」ではなく、「堂々と」書いた方が良かったと思う。

また、幕閣の六人衆たちと年寄衆の権力闘争という側面を、もう少し出しても良かったのではないかと思う。一体何のために彼らの談合場面が書かれているのだろうと思ってしまう。

特に松平信綱の登場は不要ですらあるように感じる。いっそのこと、松平信綱を登場させず、柳生宗矩の口や筆でその存在や意図を表現する方法でも良かったのではないかと思う。

最後に、題名の「双眼」は十兵衛が隻眼だったことと、作者が考える十兵衛像にちなんで名付けられているようだ。

内容/あらすじ/ネタバレ

七度三十九人の刺客をことごとく倒したという報告に島津家久は呻いていた。前には東郷藤兵衛重位が控えていた。

島津家の流儀である示現流の開祖である。「恐れながら」と重位の後ろに従う寺田少助がいう。二十いくつの若造とはいえ、柳生十兵衛三厳は鬼に魅入られた子、新陰流としては異才の類だという。

少助は二十二歳まで柳生但馬守宗矩の下で柳生新陰流を修行していた。それが重位と立ち合い、負けるに及んで入門を願い出たのだ。そして重位のすすめもあり島津家に仕えることになった。

少助がつかんだ情報によると、公儀は薩摩の唐、琉球貿易の利を奪う魂胆だという。将軍の内意は「極西の国へ赴きて、公儀を欺き貿易の利をむさぼる曲者を見極むべし」であった。

幕府は法度破りと称して島津家を取り潰しにかかるかもしれない。公儀隠密とはいえ姓名も顔も割れている。島津家久は柳生十兵衛を島津領内に入れさせてはならないと考えていた。

十兵衛は摂津の尼崎にいた。父・宗矩からくの一返しが送られていた。先の道中で危うく敵のくの一の術中にはまるところであったため、敵との接触を避けるために送られてきたのだ。くの一は友絵といった。

十兵衛は隻眼である。片眼を潰したのは他でもない父の宗矩だった。七つの頃「燕飛」という形の稽古の最中に太刀が十兵衛の右目に入ったのである。

十兵衛にとって隠密行動は非常勤の仕事であり、他の日々は剣の研究に明け暮れていた。権威の固められた新陰流としては破格の自由な研究を許されていた。成果は約十年後「月之抄」に「柳生流」として集約される。

十兵衛が川で水浴びをしている所を襲われた。示現流「蜻蛉の構え」。だが、素肌になっても動きの「起こり」が予測できないのが十兵衛だった。斬られる側からすれば、なんの前兆もないまま、突然剣が飛び込んでくる印象である。

十兵衛には宗矩の命で、甲賀の老忍の兵太夫が陰供として従っている。

東郷重位邸に星群党を名乗る忍者集団の頭・大河原源内が控えていた。星群党とは西軍党、つまりかつて豊臣方として働いた忍びたちの生き残りである。

大河原源内は数を頼んで十兵衛を倒すのは無理だという。すでに薩摩百人組は五十三人まで減らされている。

江戸城中では六人衆が集まっていた。松平信綱は柳生宗矩に十兵衛が二つの役目を果たしうるのかを聞いていた…。

大河原源内が重位から扶持をもらい十兵衛と対決することになった。源内には秘策があった。それは十兵衛が片眼を失った翌年から講じてきた策が今になって生きようとしているのだった。

十兵衛は長州赤間関、つまり下関に向かっていた。その十兵衛に何者かが物言わぬ童を差し向けてきた。童の役目は十兵衛を一時も休ませないことにあるようだった。そしてついに十兵衛は大河原源内の手に落ちる…。

朝鮮国との外交を担う、対馬の宗義成とその家老・柳川調興との間に起きた御家騒動で揺れていた。

江戸では先代将軍秀忠の重臣だった年寄衆と六人衆の駆け引きが行われている。松平信綱は柳生宗矩に進捗状況を尋ねた…。

東郷重位は薩摩百人組の生き残りを連れて、佐賀から田代宿にいたる道筋で十兵衛を待ち受けていた。重位のかたわらには友絵がいた。つかまってしまったのだ。そこに十兵衛が現われた…。

十兵衛は対馬に上陸していた。ついに対馬の御家騒動の火蓋が切られていた。それは柳川調興が宗氏を幕府に訴えるという形で始まった。罪は国書の改ざんである。

この柳川調興が腕の立つ兵法者を所望しているという。十兵衛は藤村右近と名を変え、召し抱えられることとなった。

本書について

双眼
多田容子
講談社文庫 約三〇〇頁
江戸時代

目次

序之段
第一章 兵法者
第二章 二つ目遣い
第三章 夜襲
第四章 鬼捕り
第五章 敵
第六章 密命
第七章 父子
第八章 柳生谷

登場人物

柳生十兵衛三厳
友絵
兵太夫…忍び
柳生但馬守宗矩
徳川家光
松平伊豆守信綱
沢庵和尚
東郷藤兵衛重位…示現流開祖
寺田少助
大河原源内…星群党
島津家久
宗義成
柳川調興
おうた
玄方