
丸目蔵人佐長恵とは?「タイ捨流」を興した剣豪
丸目蔵人佐長恵(まるめ・くらんどのすけ・ながよし)はタイ捨(たいしゃ)流の創始者として知られる剣豪です。通称は蔵人佐(くらんどのすけ)、または石見守。丸目蔵人(まるめ・くらんど)の名で広く知られます。
「剣聖」と呼ばれる関東の武人・上泉伊勢守信綱。新陰流の祖。読みは「かみいずみ」または「こういずみ」。居城のあった前橋市上泉町は「かみいずみ」。「言継卿記」には大胡武蔵守または上泉武蔵守信綱で出ている。
筆者は剣豪を、次のように区分して分類している。第一世代(室町時代)剣術流派のパイオニアとなることで、組織化を実現。第二世代(戦国時代)個人として、権力者(足利将軍、戦国大名)と結びつく。第三世代(江戸時代初期)流派として、権力者(徳川将軍、大名)と結びつく。
時代小説を読むと様々な剣術の流派や刀が登場する。一流派・一名工毎に、見開きで完結する内容となっているので、事典代わりに読まれると良いと思う。