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馬頭院の参詣記-歴史と見どころ紹介(栃木県那珂川町)徳川光圀ゆかりの寺

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馬頭院入り口

馬頭院は那珂川町(旧馬頭町)にある真言宗智山派のお寺です。

馬頭院 | 武茂山 十輪寺 馬頭院
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馬頭院の歴史

馬頭院の創建は鎌倉時代の建保5年(1217年)醍醐寺 第二十七代、三十代座主である光宝和尚により開創されました。

延命地蔵菩薩像(平安時代作-栃木県指定重要文化財)を安置し馬頭観音を勧請したのが始まりと伝えられています。

寺名は「勝軍山 地蔵院 十輪寺」。

馬頭院由緒板

一時衰退しますが正和元年(1312年)に光範和尚が伏見院御震紺紙金字金泥八巻を奉納し、堂宇の再建などを行い再興します。

江戸時代になり元禄5年(1692年)徳川光圀公が訪れ、”武茂山馬頭院”の扁額を寄進すると10万石の格式を与え、堂宇修繕や改築を行いました。

本尊を“馬頭観世音菩薩”に、寺名を「武茂山 十輪寺 馬頭院」に改めています。

その際、光圀公は記念樹として枝垂栗(三度栗)を植えたとされ、現在では県の天然記念物に指定されています。

付近に徳川光圀公縁の静神社があります。

宗派:真言宗智山派
本尊:馬頭観世音菩薩

馬頭院本堂

水戸黄門さま ゆかりの寺 馬頭院

当山は建保五年(1217)、京都 醍醐寺第二十七代 第三十代座主 光寶法印大和尚(京都の人 中納言 藤原光雅の子息 小野勧修寺宮)によって開山された。

光寶大和尚が東国を訪れた際、この武茂の地に御堂を建立、地蔵菩薩を安置し、「勝軍山 十輪寺 地蔵院」を武茂の檀林(仏教の学校)の寺とし、密教興隆 合わせて国家鎮護を祈念する寺として開創された。

また、室町時代の終わりに当地の武茂城主が当山に金堂(観音堂)を建立、馬頭観世音菩薩を安置し、荘園を寄進、地域の安寧、当山護持を祈願した。

天和元年(1681)、領主 副将軍水戸光圀公が当山を訪れる。元禄五年(1692)、再度当山に参詣された光圀公は境内 堂宇等を修復され威光倍増合わせて当山の寺門興隆を祈念し、当山に十万石の格式を授与され、朱印寺とされた。同時に光圀公は、当山の本尊を「馬頭観世音菩薩」に、また寺の名を「武茂山 十輪寺 馬頭院」と改められた。その記念にと、光圀公は当院境内中央に「枝垂栗」(通称三度栗)を植樹された。また当地の地名も光圀公の命により「馬頭観世音菩薩」の名により「武茂」から「馬頭」と改称された。

現在当山は、真言宗智山派に属し、総本山は智積院(京都市 東山七条)である。

本堂内には延命地蔵菩薩 両祖大師(弘法大師 興教大師)像を安置し、中国二十四孝欄間九面等が飾られている。

観音堂内には馬頭観世音菩薩 不動明王 毘沙門天 秩父三十四観音像等がおさめられている。

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住所&地図

住所 : 栃木県那須郡那珂川町馬頭188