大山参道(大山巌ゆかりの地)紅葉の風景
大山元帥墓所の参道に植えられたモミジの並木。
大山参道のある下永田地区は、明治の元勲大山巌(元帥、公爵)が開いた大山農場の一部でした。
この一帯には明治初期の日本を支えた人物たちにゆかりのある土地が数多く存在しています。
大正5年に没するとこの地に墓所が設けられ、参道が整備されました。
大山巌と那須野原
大山巌(おおやま いわお)は天保13年10月10日(1842年11月12日)生まれで、大正5年(1916年)12月10日に亡くなりました。
薩摩出身の武士で明治期に陸軍軍人、政治家として活躍した。
軍人としての階級は元帥陸軍大将。
栄典(位階勲等および爵位)は従一位大勲位功一級公爵。
大警視(第2代)、陸軍大臣(初・2・3・4・6・7代)、陸軍参謀総長(第4・6代)、文部大臣(臨時兼任)、内大臣(第5代)、元老、貴族院議員を歴任しました。
大山巌は薩摩(現在の鹿児島)出身でしたが、栃木県の那須野原の地を愛しました。
それもあってか、故郷ではなく、那須に葬られています。
遺品は陸上自衛隊宇都宮駐屯地に多数収蔵され、資料館に展示されているそうです。
大山巌の死は夏目漱石の死の翌日のことでした。
当時、新聞の多くは夏目漱石の死を悼んで多くの紙面を夏目漱石の死に割きました。
逆に、翌日の大山の訃報は、他の元老の訃報とは比較にならないほど地味なものだったそうです。
ですが、かえってそれが大山と他の元老たちの違いを改めて印象づけることになりました。
国葬では駐日ロシア大使が参列し、これとは別にロシア大使館付武官のヤホントフ少将が直に大山家を訪れました。
「全ロシア陸軍を代表して」の弔詞だったそうです。
敵国の軍人からの弔意を受けたのは、大山巌と東郷平八郎の二人だけでした。
大山参道紅葉の景色
大山巌が関連する小説
明治初期を描いた名作で、大山巌が出てくる小説と言えば「坂の上の雲」
地図
〒329-2712 栃木県那須塩原市下永田
明治の総理・松方正義ゆかりの千本松牧場
千本松牧場は1902年、松方正義が那須開墾社から土地を譲り受けて開場しました。
牧場の名前の由来は、多数自生していたアカマツ林からです。
1928年に蓬莱殖産株式会社(現:ホウライ株式会社)に移管されました。
地図
〒329-2747 栃木県那須塩原市千本松799
千本松神社
千本松牧場にある千本松神社