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日光東照宮の参詣記-歴史と見どころは?(栃木県日光市)(世界遺産)[国の史跡]

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社号標(2018年撮影)

日光と言えば東照宮。京都と並んで、修学旅行のメッカの一つです。訪れたことのある方も多いと思います。

日本全国の東照宮の総本社的存在です。正式名称は地名等を冠称しない「東照宮」。国の指定史跡です。

日光東照宮は、日光二荒山神社別宮本宮神社、別宮滝尾神社を含む)、日光山輪王寺大猷院霊廟を含む)を合わせて「日光の社寺」としてユネスコ世界文化遺産に登録されています。

二社一寺を合わせた日光山は、神仏習合の色合いが濃く残った一大宗教施設です。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。

日光社参

時代小説を読んでいると「日光社参 (にっこうしゃさん)」という言葉にお目にかかることがあります。

江戸時代に将軍家が日光東照宮を参拝する行事を指しています。

日光社参は、膨大な経費を要しましたので、江戸時代を通じて19回しか実施されませんでした。

第3代将軍の徳川家光が10回と最も多く、16回までが第4代将軍の徳川家綱までに集中しています。

日光社参は将軍家の武威を示し、権威を広く知らしめるのに絶大な効果がありましたが、膨大な経費のおかけで、第4代将軍・徳川家綱の後、幕府の財政に余裕が無くなると、その頻度は少なくなります。

石鳥居から陽明門まで

石鳥居

石鳥居は元和4年(1618)に九州筑前(福岡県)藩主黒田長政によって奉納されたものだそうです。石材は九州から船で小山まで運ばれ、陸路人力で日光まで運ばれたといいます。

石鳥居(2022年撮影)

五重塔

石鳥居を過ぎたところにある五重塔は慶安3年(1648)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝によって奉納されました。

文化12年に火災にあいましたが、文政元年(1818)に酒井忠進によって再建されました。

五重塔(2022年撮影)
五重塔(2022年撮影

仁王門

表門は東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから仁王門とも呼ばれています。

仁王門正面(2015年撮影)
仁王門吽形像(2015年撮影)
仁王門阿形像(2015年撮影)
仁王門の裏側(2015年撮影)
仁王門の裏側(2015年撮影)

三神庫(下神庫、中神庫、上神庫)

神厩舎

神厩舎は神馬をつなぐ厩で、昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あります。

人間の一生が風刺されていますが、中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。

神厩舎(2015年撮影)
神厩舎 三猿の彫刻(2015年撮影)
神厩舎 猿の彫刻1(2015年撮影)
神厩舎 猿の彫刻2(2015年撮影)

陽明門

陽明門前の鳥居(2022年撮影)
陽明門(2022年撮影)
陽明門 昇り龍(2022年撮影)
陽明門 逆柱(2022年撮影)

輪蔵

鐘楼

廻り燈籠

本地堂(薬師堂)

鳴き龍で知られます。

日光東照宮は神社ですが、ここだけは仏教施設です。

唐門から奥宮まで

唐門

唐門は国宝です。全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」など細かい彫刻がほどこされています。

御本社は国宝。本殿・石の間・拝殿からなり、東照宮の最も重要なところになります。

神輿舎

神輿舎には三基の神輿が納められています。中央にあるのが徳川家康の神輿、右側が豊臣秀吉の神輿、左側が源頼朝の神輿です。

眠り猫

眠り猫の裏には雀たちがいます。眠り猫は国宝。左甚五郎作と伝えられます。

牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われます。

また、眠り猫が踏ん張っていることから、家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれているそうですが、裏で雀が舞っていても「猫も寝るほどの平和」を表しているとも言われています。

眠り猫(2022年撮影)
眠り猫(2015年撮影)
眠り猫の裏側(2015年撮影)

奥宮への道

眠り猫をくぐると奥宮へ続きます。

奥宮へ続く(2015年撮影)

奥宮 徳川家康のお墓

奥宮は日光東照宮の中でも最も高い位置にあります。

漂う雰囲気も違っている場所です。

徳川家康が埋葬されている上に建てられた宝塔です。

叶杉(2015年撮影)

御仮殿

御仮殿(2022年撮影)
御仮殿(2015年撮影)

動画

地図

所在地 栃木県日光市山内2301
主祭神 徳川家康、(相殿)豊臣秀吉、源頼朝
社格等 別格官幣社
創建 元和3年(1617年)
本殿の様式 権現造

日光の社寺