咲柳山報土寺の歴史
江戸時代の慶長十九年(1614年)に朝倉左衛門義景の子孫である永受法師による創建されました。
創建時は赤坂一ツ木大沢の里(現在の赤坂五丁目辺り)にありましたが、幕府の用地取り上げにより、安永九年(1780年)現在の場所に移りました。
訪れた場所
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雷電為右ヱ門
江戸時代の伝説の力士、雷電為右ヱ門の墓があります。
雷電は、明和四年(1767年)信州小諸在大石村生まれ。
天明四年(1784年)年寄浦風林右衛門に弟子入りし、寛政二年(1790年)から引退までの二十二年間のうち大関(当時の最高位)の地位にありました。
三十三場所、二百五十勝十敗は当時の大業績です。
雷電為右ヱ門を描いた小説として飯嶋和一の「雷電本紀」があります。
雷電為右衛門墓の案内板
他には、江戸時代の儒学者、井部香山の墓、丸木利陽の墓、野村文挙の碑などがあります。
井部香山墓の案内板
咲柳山報土寺の見どころ
港区の文化財である築地塀(練塀)。
築地塀は、土を突固め、上に屋根をかけた土塀。塀のなかに瓦を横に並べて入れた土塀を「練塀」というそうです。
報土寺の練塀は、弓なりになっている珍しいものです。
これは、「三分坂」に沿って造られたためです。
「三分坂」は、港区の中でも特に急坂として知られます。
梵鐘
報土寺の概要
項目 | 内容 |
---|---|
山号 | 咲柳山 |
院号 | ー |
正式名 | 咲柳山報土寺 |
開基 | 創建年 1614年 開山 永受 |
宗派 | 浄土真宗大谷派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
別称 | ― |
備考 | ― |
地図
所在地: 〒107-0052 東京都港区赤坂 7-6-20
電話: 03-3583-5401