東京タワーのそばにある浄土宗の寺院です。
日比谷通りに面する三門は間口約19メートル、高さ約21メートルあります。三門とは三解脱門の略です。貪り、怒り、愚かさの三毒から解脱できるとされます。
現在の境内は約2万7000坪ですが、最盛期は20数万坪あったとされます。
貝塚村(千代田区麹町・紀尾井町あたり)の真言宗の寺・光明寺(空海の弟子・宗叡が建立)が始まりとされます。
明徳4年(1393)に浄土宗の第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって改宗し、増上寺と改名されました。
徳川家菩提寺
増上寺には、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の、六人の将軍の墓所があります。
江戸時代に徳川家康の帰依を受けた時から、大きく発展しました。
風水学的には、江戸城を起点に、江戸の鬼門である北東の上野に寛永寺、神田明神、浅草寺を配し、裏鬼門の南西に増上寺と日枝神社を配したと考えられるそうです。
伽藍も整備され、浄土宗の大本山になりました。
増上寺の概要
項目 | 内容 |
---|---|
山号 | 三縁山 |
院号 | – |
正式名 | 三縁山 広度院 増上寺 |
開基 | 聖聡…明徳4年(1393年) |
宗派 | 浄土宗鎮西派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
別称 | – |
備考 | 寺格 大本山 札所等 江戸三十三箇所21番 |
文化財
重要文化財
- 三解脱門(三門)
- 紙本著色法然上人伝 2巻
- 大蔵経
- 花園天皇宸翰宸記目録上
東京都指定有形文化財
- 経蔵
- 木造阿弥陀如来坐像(本尊)
- 木造釈迦如来・両脇侍像
- 木造十六羅漢像
- 木造広目天・多聞天立像
- 木造四天王立像
徳川将軍6名の墓所
第二次世界大戦前には台徳院(秀忠)霊廟、崇源院(秀忠夫人)霊牌所、文昭院(家宣)霊廟、有章院(家継)霊廟が旧国宝(建造物)に指定されていました。
昭和20年(1945年)に2度の空襲があり3月10日に北廟68棟が被災、続く5月25日に南廟28棟が被災し、その建造物群のほとんどを焼失してしまいます。
本当はもっと大きかった墓所は戦時中に焼失してしまったのです。
現在は台徳院霊廟の門4棟と、有章院霊廟二天門、文昭院霊廟奥院中門(鋳抜門)を残しますが、私有であり管理状態が悪いそうです。こうした文化的建築物は公的管理に移した方が良いと思います。
増上寺内の熊野神社
元和十年(1624年)、第十三世正誉廓山上人が熊野権現を増上寺鎮守として東北の鬼門に勧請したもの。
『熊野』は「クマノ」・「ユヤ」と二通りの呼称があるが、増上寺は「ユヤ」の方。
祭神:家津御子大神、大己貴命、伊弉諾尊
め組の供養碑
め組と言えば「芝」
増上寺内にひっそりと建てられている供養碑
享保元年(1716年)建立。
増上寺門前の町火消しで有名な「め組」の殉難者・物故者の供養のために建てられた。
増上寺山内は寺社奉行・大名火消しだった。
「め組」といえば縁が深いのが芝神明。