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浄名院の参詣記-歴史と見どころ紹介(東京都台東区)江戸六地蔵の第六番の代仏

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最寄りは鶯谷駅ですが、上野公園から谷根千(谷中・根津・千駄木)方面への散歩途中で立ち寄りました。

浄名院

境内に江戸六地蔵六番があります。

もともとは第六番は江東区永代寺の富岡八幡宮の二の鳥居付近にありました。

しかし、明治元年(1868年)の神仏分離令による廃仏毀釈により、旧永代寺が廃寺になり取り壊されてしまいます。

この第六番の代仏が、ここ浄名院に祀られています。

廃仏毀釈については安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―」に詳しいです。

昔は高重院、其後寛文6年(1667)圭海大僧都開基東叡山36坊の浄円院と称し、寺領200石を賜う。五代将軍綱吉公の母宝樹院菩提所となり、寛海和尚は善養院に転住さる。寛文12年当山第1世妙立和尚安楽律の新法門を唱導。之に対し山徒頻に誹謗せしが、妙立門下霊空和尚出で師説を顕揚す。

当時日本仏法の大王輪王寺宮の大御心を動かし奉るに到り、遂に享保8年御令旨に依り安楽一派を興立し、当山は浄名律院も改称し建立さる。又一山一ヶ寺の制を設けて、比叡山に安楽律院、東叡山に当山、日光山に興雲律院の三院県立本山とし、徳川幕府の本宗棹尾の偉観を呈す。大明院宮、崇保院宮、隋宜楽院宮、御三代法親王の御崇敬を仰ぐ。殊に崇保院宮は地蔵信仰深く自ら尊像を画き江戸府内寺院に賜り毎月24日の縁日はそれより始まる。

当山38世妙運和尚自他の人を合わせ、八万四千の石地蔵尊を建立し、上は仏祖の供恩に酬い、下澆末の衆生を救わんとして発願さるや、直に北白川宮能久親王殿下の十数体奉納あり。徳川、小松、一条、近衛、毛利等各家の奉納に倣い、各界の人之に続き建立今日に到る。
境内には明治初年神仏分離に際し、江戸六地蔵六番(永代寺、富丘八幡宮の別当寺)は廃寺となり、地蔵尊も破壊され、以来当寺に江戸六地蔵第六番として再造された。

看板

浄名院は寛文6年(1666年)に開創され、四代将軍徳川家綱公の母・宝樹院の菩提所として栄えました。ぜんそく・病気平癒を祈願する「へちま加持祈祷会」で全国的に知られており、別名「へちま寺」とも呼ばれています。

1600坪を超える広い境内は、数多くの石地蔵尊で埋め尽くされています。これは、第三十八世妙運大和尚が、民衆の幸福と仏恩に報いるため、「八万四千体地蔵尊の建立」を発願されたもので、八万四千体地蔵尊の建立成就を目指し、現在も地蔵尊像の数は増え続けています。

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地図

住所 台東区上野桜木2-6-4