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津本陽の「龍馬(一) 青雲篇」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

坂本龍馬。幕末を代表する志士の一人である。

その生涯を丹念に追ったのがこの作品である。第一巻は嘉永四年(一八五一)から安政二年(一八五五)までで、龍馬が土佐から江戸へ遊学し見聞を広める時期である。

数え年で十七才から二十一才までの時期である。

龍馬の実家・坂本家は領知高百六十一石のほかに、三人扶持、切米五石を得ている。実質的に百七十石を越えることになる。

曾祖父の代に、商家の本家から分家し、幡多御新規郷士として創始した。本家の才谷屋は城下屈指の豪商である。

裕福な町人が郷士になるのは珍しくなかったが、世間の批判が強かった。

この郷士制度を設けたのは、二代藩主忠義の執政・野中兼山である。

土佐では上士と郷士以下の下士は様々に区別されており、両者の間には常に対立の機運がわだかまっている。

裕福な家に生まれた龍馬は、剣術の修行などで江戸へ遊学することになる。

それなりの腕を持ってはいるのだが、本書では剣術の修行をしている場面よりも、見聞を広めている記述の方が目立つ。

見聞はこの当時の碩学である佐久間象山の目を通じて広められる。

剣術は北辰一刀流を学ぶ。

龍馬が千葉周作の弟定吉の道場に入門したことは知られ、その娘佐那が龍馬を恋い慕ったことも知られているが、本書のみならず続く巻の中でもでは龍馬と佐那のロマンスというのはない。

そして興味深いことに、津本「龍馬」には剣客としての龍馬像は無いといってよい。それよりも、商人「龍馬」像がだんだんと鮮やかになってくる。

さて、坂本龍馬と同じく土佐を代表する武市半平太は婚姻を通じて遠い親戚筋のようだ。また、後に二代目の海援隊隊長となる長岡謙吉(今井純正)も親戚筋となるようだ。

内容/あらすじ/ネタバレ

嘉永四年(一八五一)七月はじめの高知。

郷士坂本八平の屋敷前に十七才の龍馬と、二十歳になる姉の乙女が立っている。龍馬達は友の藤田栄馬を待っていた。

父八平の実家・山本家に立ち寄り、種崎の親戚へ泊まりがけで遊びに行くのだ。種崎の親戚は義母伊与の里方である廻船問屋の下田屋である。

栄馬にはお琴という妹がいる。十四才になる。器量よしで、龍馬は心を寄せていたが、今回来られなかったのを残念がっていると知り、龍馬の心は揺すぶられた。

土佐藩では嘉永元年(一八四八)三月に海防計画をたてていた。

高知城下では一刀流の遣い手武市半平太の名が知られていた。半平太は家督相続の後、山本卓馬の従妹島村富子を妻に迎えていた。

一方で、龍馬は伊与が義母として家に入ってきてから知った今井純正を思い浮かべていた。純正は医学・文学修行のため大坂に行っている。

この頃の土佐藩では百姓が窮乏に追いこまれていた。資本を持たない百姓、町人の間には支配者に対する鬱屈した感情がわだかまっていた。

その発露は、郷浦庄屋達が天保十二年に結んだ秘密の連盟の同名談話条々にあらわれている。内容は天皇を中心とする、尊皇討幕運動の萌芽であった。

嘉永五年の春先から祖母久の体調がすぐれない。

龍馬は刀工左行秀の鍛冶場へ足繁く通っている。行秀は新知識に好奇心を示す龍馬を刺激する。

この行秀の所に溝淵広之丞という下士がたずねてきた。広之丞は江戸で佐久間象山の門下になっていた。

龍馬は武市半平太の道場に向かった。初めて会うことになる。剣の腕は格段に違った。

武市半平太の道場には岡田以蔵という半平太がかわいがっている愛弟子がいる。

漂流している所をアメリカに助けられた中ノ浜の万次郎という男が高知に戻って来るという。龍馬は何としても会い、アメリカの様子を聞きたいと思っていた。

高知でくすぶっていたら、世間に遅れてしまう。来年には江戸へ出たいと考えていた。溝淵広之丞に同行を頼んでいた。

万次郎への聞き取りは今井純正が漢学を学ぶために入門した河田小龍が行うことになった。小龍は吉田元吉(東洋)の知遇を受け、大坂、江戸、長崎に遊学した経験を持つ。

万次郎と会ったのは、嘉永五年の師走も末に近い頃であった。

年が明け、嘉永六年。

龍馬は江戸へ行くことになった。この時、藤田栄馬の妹お琴と夫婦になる誓いをした。

四月も末になり、龍馬は溝淵広之丞とともに江戸の南築地にある下屋敷に到着した。

龍馬は広之丞のすすめに従い、佐久間塾へ入門するつもりでいた。そして剣は千葉周作の弟千葉定吉の道場に通うことになった。定吉には佐那という娘がおり、剣の腕が立った。

龍馬は広之丞に付き添われ、佐久間象山と会った。狷介きわまりない象山は龍馬を笑顔で迎えた。

象山はアメリカが今年か来年には軍艦を江戸に差し向けてくるはずだという。

この帰り、象山は勝麟太郎の妹を妻としていることを聞かされた。

龍馬はお琴との生活を夢見ていた。万次郎のアメリカのことを聞き、外国へ渡りたいと願っているが夢想に過ぎない。お琴と暮らせれば極楽である。

土佐を出て三月の内に、龍馬の見聞は急速に広がっていた。

アメリカの黒船が浦賀表にやってきた。龍馬と溝淵広之丞は佐久間象山の供をして浦賀へ向かった。

黒船はいったん上海へ戻ったが、来年には国書の返答を求めに来るという。幕府はそれまでに通商を許すかどうかの方針を決めておかなければならない。

象山はアメリカと戦端を開くのは、国の滅亡を招く愚挙であると説いていた。

幕府は江戸防衛のために品川沖に台場を建造した。そうした中、ペリーと入れ替わるようにロシアの艦隊がやってきて通商を求めた。

万次郎が江戸へやってきた。呼び出されたのである。久々の再会に龍馬、広之丞、万次郎は喜び合った。

万次郎には中浜という姓が与えられた。

江戸では攘夷論が盛んになってきていた。

嘉永七年(一八五四)六月上旬。龍馬は土佐への帰国の途についた。

この時には、龍馬は廻船業を始めたいという願望が膨らんでいる。

この年の三月、幕府はアメリカと和親条約の締結を行っていた。開港場は長崎の他に下田と箱館となった。

土佐に帰った龍馬に訃報が待っていた。それはお琴が自害したというものだった。

龍馬にとってむなしい日々が続いたが、お琴を失った今、龍馬は自由な生き方を望んでいた。

藩では西洋砲術稽古が熱を帯びている。

その中、大地震が起きた。

安政二年(一八五五)正月は地震から始まった。

土佐に戻ってきている今井純正や溝淵広之丞らとともに龍馬は河田小龍を訪ねた。

小龍の所には饅頭屋の倅の長次郎が弟子にいた。

小龍はこうした時勢の中で商業を興してはどうかといった。龍馬は心中に隠す考えを指摘されたようで胸を突かれた。

吉田元吉は隠棲していた先で学塾を開いた。そこには義理の甥後藤象二郎や郷士の岩崎弥太郎らが入門していた。

二月には藩主山内豊信が帰国した。大地震復旧の指揮をとるための特別の措置である。

幕府はこれまでも商人に金を借りなければやりくりがつかないでいる。これに海防の費えが莫大になり、困窮するのは明かである。

龍馬は時勢が銭金で動いていることを感じ、それを武市半平太に語っていた。

父八平が世を去った。享年五十九であった。

本書について

津本陽
龍馬(一) 青雲篇
角川文庫 約四二〇頁

目次

海の虹
うつぎの花
黒船
痴蛙
お琴
浦戸の月

登場人物

坂本龍馬
坂本乙女…龍馬の姉
坂本八平…龍馬の父
坂本伊与…龍馬の義母
坂本権平…龍馬の兄
坂本久…龍馬の祖母
藤田栄馬…龍馬の友人
お琴…栄馬の妹
山本卓馬…龍馬の親戚
山本三次…卓馬の弟
川島猪三郎…龍馬の親戚
武市半平太
岡田以蔵
日根野弁治…龍馬の剣術の師匠
土居楠五郎
河田小龍
今井純正(長岡謙吉)
馬之助
長次郎
左行秀…刀工
溝淵広之丞
山内豊信…土佐藩主
吉田元吉(東洋)
乾退助
後藤象二郎
岩崎弥太郎
中浜万次郎
千葉栄次郎…千葉周作の次男
千葉定吉…千葉周作の弟
重太郎…定吉の息子
佐那…定吉の娘
佐久間象山
吉田寅次郎(松蔭)
勝麟太郎
斎藤弥九郎
桂小五郎