覚書/感想/コメント
岡っ引きなのに、死体を見ると大泣きしてしまう銀次。そこから名付けられたありがたくない渾名が「泣きの銀次」。なぜ銀次は泣くのか。
「…。死人の顔を見ていると、そいつが生きて、息をしていた時の、しかも笑った顔がぽっと浮かぶのよ。おいらは、あたいは、三日前まで、十日前までこうしてました、とな。そうすると、もう駄目だ。もういけねェ。気がつくと、泣きの涙で皆んなに笑われているという様よ。」
銀次は、わざと泣いているわけではない。どうにもならない、衝動的な心の揺り動かしが涙として表れるのだ。
だが、ただ単に泣き虫なだけではない。
町民出身だが、馬庭念流をそれなりに修行している。
馬庭念流は、野良仕事の傍らから生まれた剣法。他の流派のように構えたところがなく、構えそのものがクワを握るような感じで威厳のかけらもない。構えも、見た目はへっぴり腰だが、「無構え」という馬庭念流の基本の姿勢である。
とはいっても、膝を曲げ、がに股に構えるのは様にならないようで…。
内容/あらすじ/ネタバレ
小間物問屋の跡継ぎであった銀次が岡っ引きになったのは、妹のお菊が習い事の帰りに暴漢に襲われて殺されてからだ。十八だった銀次はお菊の死体の前に身も世もなく泣きじゃくった。この時から銀次の泣き癖が始まった。
この事件を担当していた同心が表勘兵衛だった。自分でお菊を殺した下手人を挙げると心に決めた銀次は表勘兵衛の小者になることになった。
ちょうどこの事件の一年前くらいから半年に一度くらいの割合で猟奇的な殺人事件が発生していた。
十年がたった。
下っ引きの政吉がやってきて、若い女の死体が大川に上がったという。全身黒ずくめだという。銀次には思い当たる点があり、政吉に深川の仮宅で営業をしている大黒屋に小紫がいるかを訊ねてこいという。小紫は大黒屋でお職を張っている花魁だ。
銀次が実家の小伝馬町にある坂本屋を寄るに訪ねると、はたして女中のお芳が起きており、いつものように銀次を迎えてくれた。十七のお芳は表勘兵衛が銀次と同じく抱えている老練の岡っ引き・弥助の娘である。
その弥助が夏の暑い日に、不忍池である人物を見張っている姿を銀次と表勘兵衛が見かける。弥助は叶鉄斎を見張っているのだ。
この叶鉄斎には銀次が覚えているだけでおよそ五つの事件の疑惑があった。弥助は銀次にお菊の殺しの下手人も鉄斎ではないかともらしていた。
昔、銀次は番頭新造だった雛鶴と浮き名を流したことがあった。雛鶴は今は新川の酒問屋・丸屋に後妻に入っていた。
その丸屋に賊が押し入り、店のものが取り押さえたという。気になるのは、賊の一人が奉公人に紛れ込んでいたことである。
取り押さえた賊は放免になったものの、表勘兵衛は他にも仲間がいると考えていた。
そのため、銀次の実家・坂本屋にもあらかじめ注意するようにといっていた。怪しいのは、坂本屋にいる若い手代の粂吉だ。放免になった治助と顔なじみらしい…。
こうした中、銀次はお芳と所帯を持つことを決めていた。
お芳の父親・弥助が何者かに斬られ亡くなった。死の間際、「鉄斎の…」と言い残した。銀次は心の底から怒りを覚えた。
表勘兵衛は息子の慎之介と膨大な資料を読んでいた。全て叶鉄斎に関係するものばかりである。
ここで慎之介が気がついたことがある。事件の起きた日付が、大抵、月の初めか半ばの十五日ということである。
こうして、慎之介が叶鉄斎に関して、少しずつ掘り下げていく中、銀次の実家坂本屋が賊の襲われ、母のまつを残して家族が殺された…。
本書について
宇江佐真理
泣きの銀次
講談社文庫 約三〇〇頁
目次
泣きの銀次
登場人物
銀次…岡っ引き
表勘兵衛…同心
うねめ…勘兵衛の妻
慎之介…勘兵衛の息子、見習い同心
弥助…岡っ引き
雨宮藤助…見習い同心
雨宮角太夫…雨宮藤助の父親
政吉…銀次の下っ引き
伊平…政吉の父親
銀佐衛門…銀次の父親
まつ…銀次の母親
卯之助…番頭
お芳…女中、弥助の娘
粂吉…手代
(お菊…銀次の妹)
辰吉…青物売り
おみつ…辰吉の女房
与平…辰吉の息子
音松…湯屋の主
おりん(雛鶴)…酒問屋丸屋内儀
治助
叶鉄斎
叶陽明
巳之吉…岡っ引き