古代日本史上の最高の英雄
ヤマトタケルは、景行天皇の第3皇子で、母はハリマノイナビノオオイラツメ(播磨稲日大郎姫)とされ、仲哀(ちゅうあい)天皇の父とされます。兄オオウスノミコト(大碓命)と双生児です。
漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が使われます。「古事記」では倭建命(ヤマトタケルノミコト)と書かれます。
一方で、ヤマトタケルは一個人の名前ではなく、何人もの「ヤマトタケル」がいたものとみられ、大和朝廷発展期の数次の東西平定事業の集約的・抽象的人物とみられています。
ヤマトタケルがいくつかの名をもつことからも、多くの話がまとまって成立した東西平定の物語とも考えられています。
ヤマトタケルの像は「古事記」と「日本書紀」で大きな相違があり、悲劇的皇子の物語として描かれるのは「古事記」ですが、「日本書紀」では天皇支配の体制に適合する姿に修正されています。
「古事記」では、皇子は臼を人格化したオウスノミコト(小碓命)の名で登場します。ヤマトオグナ(日本童男)ともいいます。
「日本書紀」では日本武尊の死を「崩」とし、墓を「陵」と記すなど天皇に準じています。「常陸国風土記」では倭武天皇と記されています。
東西征伐
ヤマトタケルの物語は、スサノオやオオクニヌシ同様に、ジョーセフ・キャンベルの「千の顔をもつ英雄」の英雄の構造に従って逸話を見るのが良いです。
ヤマトタケルは気性が激しいため景行天皇に敬遠され、景行天皇の命により東西征伐に活躍します。
「古事記」によれば、ヤマトタケルは父の景行天皇から、双子の兄の大碓命に食事に出席するように願えと言われたのを、取り違えて兄を惨殺してしまいます。
西征
景行天皇の27年。ヤマトタケルが16歳の時に西方の熊襲(くまそ)征伐に赴きます。
伊勢の斎宮で叔母のヤマトヒメ(倭比売)から賜った衣裳で童女に扮し、宴席に入り、カワカミノタケル(川上梟帥)に近づき討ち取りました。「古事記」では熊曾建兄弟となっています。
このときカワカミノタケルが、日本で最も強い男という意味からヤマトオグナ(倭男具那)と名乗っていたオウスノミコトにヤマトタケルノミコト(日本武尊)の名を奉ったとされます。
帰りに出雲に寄りイズモタケル(出雲建)を、偽刀の計で倒し、山、川、海峡の神を服属させて帰還しました。
東夷征討
景行天皇の40年、ヤマトタケルは東夷征討のため出発します。
天皇は私に早く死ねと思っておられるのか、と嘆きつつ、伊勢神宮に奉仕する叔母のヤマトヒメ(倭比売)を訪ねましたた。
倭比売から天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、別称・草薙剣)と袋を授かり、危急のとき袋の口を開いてみよと教えられ出発します。
尾張でミヤズヒメ(美夜受比売)と婚約したのち、相模で国造に欺かれ、野火に囲まれますが、草薙剣で周囲の草を刈り、袋の中にあった火打ち石で、逆に火を燃やして難を逃れます。
走水(はしりみず)の海では、房総半島に向け海を渡ろうとして、浦賀水道の神が波浪をおこして行く手を妨げ、船が進まなくなります。妃のオトタチバナヒメノミコト(弟橘比売命)が自ら犠牲となって海中に入り荒波を鎮め、海上の難を逃れます。
その後、ヤマトタケルは駿河、相模、上総、日高見国を平定し。上総からさらに海路で北上し、北上川流域(宮城県)に行ったという話もあります。
東征を果たしたヤマトタケルは、帰途に足柄の坂で「吾妻はや」といって后の犠牲を嘆きました。それが東国を「吾妻」と呼ぶ起源になったとされます。
英雄の最期
甲斐、信濃を経て尾張に帰り、ミヤズヒメ(宮簀姫)と契りを結んだのち、ヤマトタケルは素手で伊吹山(滋賀、岐阜両県の県境)の神を退治しにいきます。この時、草薙剣を熱田神宮の地に置いていきました。
ヤマトタケルは神の正体を見誤り、大氷雨に打たれて深手を負ってしまいます。
深手を負ったヤマトタケルは伊勢国の能褒野(のぼの)まで辿り着いたところで力尽きてしまいます。「日本書紀」によれば30歳でした。
大和から后たちと子たちがやってきて、御陵を造って葬ろうとしました。すると、ヤマトタケルは八尋白智鳥に化して飛び翔ります。
后たちと子たちが懸命に追っていくと、白鳥は河内の志幾(大阪府南河内郡)に留まりました。そこでその地に白鳥陵を作り、鎮座させようとしました。しかし、白鳥は再び飛び去ったといいます。
墓所
墓は宮内庁により次の3ヶ所に治定されています(能褒野墓に白鳥2陵を付属)。
- 能褒野墓(のぼののはか、三重県亀山市田村町)遺跡名は「能褒野王塚古墳」。
- 白鳥陵(しらとりのみささぎ、奈良県御所市富田)「権現山」・「天王山」とも言われたました。
- 白鳥陵(しらとりのみささぎ、大阪府羽曳野市軽里)遺跡名は「軽里大塚古墳」・「前の山古墳」・「白鳥陵古墳」。
ヤマトタケルにゆかりのある神社
- 建部大社(滋賀県大津市)
- 大鳥大社(大阪府堺市西区)…白鳥と化したヤマトタケルが最後に降り立った地に建てられたとされます。大鳥神社(鷲神社)は各地にあり、大鳥大社はその本社とされます。
- 熱田神宮:相殿神として祀られています。