覚書/感想/コメント
「錦絵双花伝」改題。「風流冷飯伝」「退屈姫君伝」に続く三部作の最終巻。
「風流冷飯伝」と「退屈姫君伝」は宝暦十四年(一七六四)が舞台であり、本書は月日が経って実質的に明和二年(一七六五)から始まっている。前二作の翌年からである。
主人公は「退屈姫君伝」に登場したくの一の「お仙」。
うかつな話しだが、このお仙は江戸の三美人(明和三美人)の一人としてもてはやされた「笠森お仙」だということに、途中まで気が付かなかった。気が付いた時には、「やられたぁ」と唸ってしまった。
笠森お仙は、江戸谷中の笠森稲荷門前の水茶屋鍵屋で働いていた看板娘であり、本書もその設定である。
前作からズバリそのままの設定だったにもかかわらず、全く気が付かなかった。
明和三美人の他二人の内、浅草寺境内の楊枝屋柳屋の看板娘お藤も本書の重要な登場人物として登場する。
もう一人は二十軒茶屋の水茶屋蔦屋の看板娘およしである。
本書でもそうなっているが、笠森お仙はある時突然鍵屋から姿を消す。
姿を消した理由は御庭番で笠森稲荷の地主でもある倉地甚左衛門(=倉知政之助)に嫁いだからである。武家に嫁ぐので、仮親に馬場善五兵衛がなったという。
この史実に即した形で本書は語られている。もちろん、この伏線は前作からのものである。
うーーむ。またしても、やられた…。
史実を織り交ぜながら、実に緻密に構成され、伝奇小説の要素も取り入れている。
お仙の出生の秘密が徐々に明らかにされていく過程、さらに終盤に待ちかまえる驚愕の事実。鈴木春信の鈴木という名字に隠された秘密とは。そして、古来から伝わる「垢付丸」「赤月丸」という妖刀を巡る謎…。
いやぁ、びっくりした。
登場人物も多彩である。
笠森お仙を描いた鈴木春信が登場し、大田直次郎(=太田南畝、蜀山人)も登場する。
田沼意次も登場する。本書で田沼意次は失脚するので、それで三部作となっているのだろう。
さて、倉知政之助と本書の最後に登場する熊野忍びの大蜘蛛仙太郎は別の本にも登場している。
内容/あらすじ/ネタバレ
寛政四年(一七五一)弥生。
紀州秦栖藩で雛祭りが催されていた。この頃、雛人形に定型はなかった。
この日、徳川家康から下賜された家宝・垢付丸が何者かによって盗まれた。公儀は秦栖藩の改易を狙っているのではないかというささやきが流れている中での出来事だった。
疑われたのは奥女中の薄墨である。しかも薄墨は孕んでいる。幕府の細作と情を通じていると筆頭家老の里美兼続は断じた。
だが奇妙なことに、調査をしてみると、幕府御庭番の誰一人として、昨年から今年の春にかけて遠国御用を仰せつかった者がいない。では、一体何者が?
薄墨は権助という奧御殿で下働きをしている老人に助け出されていた。権助は薄墨から、お腹の子は穂積次兵衛という者の子だということを聞かされた。
その穂積次兵衛が薄墨の前に現われた。同時に追っての里美兼続らが現われた…。
明和二年(一七六五)。あれから十四年…。
谷中笠森稲荷にある水茶屋鍵屋の茶汲み娘のお仙は暇をもてあましていた。お仙は十五歳になる。
このお仙のもとに母からすが倒れたとの知らせが飛び込んできた。お仙は飛ぶようにして故郷の熊野に戻った。からすは二年生きた。お仙は十七になっていた。
明和四年(一七六七)。大田直次郎は水茶屋鍵屋の床几に腰掛けていた。直次郎は江戸文人の注目を得ている。
とびきりの美女がいた噂に惹かれてやってきたのだが、それは三年も前のことである。絵師の鈴木春信も呼んでしまった。
がっかりしていたのだが、天女と見間違えそうな茶汲み娘が立っている。お仙である。
直次郎はお仙を大江戸一番の小町娘として売り出そうと考えた。だが、この提案は幕府御庭番のために働く女忍びであるお仙にとっては迷惑千万な話しだ。
お仙は大田直次郎が鈴木春信に描かせた錦絵によって有名になってしまった。お仙は大弱りだし、お仙を使っている倉知政之助も頭が痛い。
お仙と同じく評判を取っているのが、浅草寺境内の楊枝店、柳屋の看板娘のお藤である。
大田直次郎は、様々な美女を列記した娘評判記で一攫千金を狙っていたのだ。
お仙は一度お藤を見てみようと考えた。お藤の方に評判が傾いてくれれば、忍び稼業に精を出せる。
お仙はお藤の住まいに入った。菅笠を取ったお仙を見てお藤は信じられないという顔をした。
お藤はお仙の生まれを聞いた。お仙は熊野の生まれ、お藤は紀州秦栖藩の生まれである。
紀州秦栖藩は取りつぶしになっている。取り潰しの理由は垢付丸の紛失である。お藤には里美新之丞という兄がいる。筆頭家老里美兼続の嫡男だ。
これを聞いたお仙はお藤とは何かの因縁があるのかも知れないと思った。そう思ったのはお藤の口から出た垢付丸の名である。熊野忍びは戦国の世から、その脇差しと深い関わりがあるからだ。
だが、お藤の思いは別だった。化粧を落したお藤の素顔はお仙と瓜二つだったのだ。
お仙にとって、熊野忍びにとって、垢付丸は赤月丸と呼ばれ、御色多由也の仙力が込められた霊刀とされているのだ。
赤月丸は日本を統べる天皇家を呪詛し、打倒せんとする勢力によって鍛えられた刀であると熊野忍びは信じていた。また、熊野忍びにとって、赤月丸はある秘術を完成させるのに必要なものであった。
皮肉なことに、熊野忍びはそう信じながらも監視を命じられていた。
絵師鈴木春信はお藤の顔を見ると思い出す顔がある。それは薄墨の顔である。そう、鈴木春信は穂積次兵衛といっていた者だったのだ。とすると、お藤は自分の娘…。
あの時、鈴木春信は田沼意次に使われていた。
倉知政之助は上司の馬場善五兵衛に呼ばれ、これ以上お仙の評判があがるようなら始末しろと命じられた。
田沼意次の嫡男・意知はお仙かお藤のどちらかを妾にしようと考え、お藤の兄里美新之丞に揺さぶりをかけていた。
この窮地に手をさしのべたのは倉知政之助だった。政之助はお藤を一時的に匿うことにした。
お仙はもしかしたらと考えることがあり、生まれた時周辺の遠国御用の調書を調べ始めた。だが、その時分のものはない…。一体どういうことだ。
垢付丸は田沼意知の手の中にあった。それを見たお藤は驚愕の表情を浮かべた。そして、兄新之丞からはとんでもない真実を聞かされる…。
この後。
意知は垢付丸を抜いてみた。そして突然垢付丸は稲光を発した。隠れるようにしてみていたお仙もそれには驚いた。
稲光を浴びてからお仙の体調は思わしくない。茶汲み娘の役はお藤にやってもらうことにした。
この頃には、お仙は様々な秘密を知っていた。
お仙がようやく快復した。
馬場善五兵衛はお仙が姿を消したのは、妻女になったからだということにしろと倉知政之助に命じた。娶るのは倉知政之助である。
お藤が田沼意知によって拐かされた。意知は垢付丸の光を浴びてから、人が変わったようである。
お仙はお藤の身に危険が及んでいるのを知り、助け出そうと動き始めた。
お藤を助け出して以来、お仙は倉知政之助と会おうとしなくなった。
お仙はお仙で、お藤が倉知政之助を慕い、倉知政之助もお藤を心憎からず思っていることを知っていた。だが、お仙が倉知政之助に会うことを避けている真実は別にあった。
倉知政之助は不思議だという。それは今回の一件に関わっているものが全員紀州の出だということである。
鈴木春信もそうだろうという話を聞き、お仙はあることに思い至った。それは鈴木という姓は穂積という氏から発したということである。
穂積次兵衛とは一体何者なのか。お仙は紀州へと向かった。そして、そこで因果とでもいうべき事実を知ることになる。
本書について
米村圭伍
面影小町伝
新潮文庫 約五〇〇頁
目次
序章 薄墨
二幕目 笠森お仙
三幕目 柳屋お藤
四幕目 鈴木春信
五幕目 大田直次郎
六幕目 むささび五兵衛
七幕目 怪光
八幕目 変化
九幕目 飛翔
十幕目 熊野行
十一幕目 父娘
十二幕目 嫁入
登場人物
お仙
お藤
倉知政之助
里美新之丞…お藤の兄
大田直次郎
鈴木春信(穂積次兵衛)
八五郎…摺り師
松五郎…版木彫り
馬場善五兵衛…倉知政之助の上司
五兵衛…お仙の父
からす…お仙の母
韋駄天の蜂介
上州の仁吉
田沼意知…田沼意次の嫡男
田沼意次
三浦庄二…田沼家用人
佐野伝右衛門…旗本
佐野善左衛門…伝右衛門の倅
薄墨
高覧…坊主
権助
里美兼続…秦栖藩筆頭家老
畠田杢内…秦栖藩奧家老
於盈…藩主側室
大蜘蛛仙太郎…熊野忍